当サロンオーナー、田中義明によるエッセイ

日本画家大森運夫 成長し続ける万年青年

 私どものギャラリーの今年の最初の展覧会が、日本画家・大森運夫さんの個展であった。正月明けで時期としてはあまり良くなかったが、多くのアート・ファンが鑑賞してくれて大盛況であった。もちろん絵の素晴らしさが根本にあるわけだが、それと大森さんの人間性が両輪になってその魅力を形づくっているのだと思われる。大森さんは一九一七年生まれ。細身の身体をシャレたジャケットに包み、背筋を延ばして足早に歩く姿は、今なお若々しい。そして柔らかな物腰と優しい語り口。しかし、大森さんの作品は、そうした姿からは想像できない。強烈な主張を持った骨太の作品が多いからだ。狙いを定めたら日本はもとより海外に足を運ぶこともいとわない。あくまで現場主義で、臨場感あふれるスケッチを数多く制作する。そして、それをもとにアトリエで大作の制作に当たるのだという。二年前には、中国の遺跡を取材するためオンボロバスで炎熱のタクラマカン砂漠を二千キロも横断した。恐れ入るほどの行動力である。そのおう盛な探究心と衰えをしらないバイタリティーはいったいどこからくるのだろう。

 「若いころは、身体が弱かったんですよ。結核もやりました。ですから神様がバランスをとって後半を丈夫にしてくれたのかもしれません。最初は小、中学校の国語の先生でしたが、思うところがあって三十三歳の時、日本画を始めました。普通の画家に比べて二十年も遅いスタートなんです。ですから、最後まで進歩していかないと、人並みの成果は残せないんです。」

 大森さんのアトリエにうかがったことである、大森さんが倉庫に絵を取りに行っている間に絵の具などが置いてある小さな部屋をこっそりのぞかせていただいた。その部屋に新年を迎えるに当たっての決意の言葉が個条書きで書かれていた。

 大森さんの尽きることのないチャレンジ精神を目の当たりにした思いだった。

 「私はお年寄りとお付き合いするよりも若い人たちと話をするほうが好きですね。若い人たちから勉強することがたくさんあるんです。『アートサロンⅡ』、このギャラリーが好きなのは、若い有望なアーチストが集まってくるし、その人たちの作品が見られるからですね」まだ十分に芽の出ていない孫のような人たちからアートについて教えを乞うというようなことは、功成り名遂げた人にそうそうできる技ではない。大森さんは、自らをまだまだ発展途上人、と認識しているためだろうか。

 大森さんの作品が文化庁や千葉県、豊橋市など多くの美術館に収蔵されていることはよく知られている。だが、千葉県との関係についてはあまり知られていないようなので、ここで紹介しておこう。

 大森さんは愛知県豊橋市の出身。しかし、七八には船橋市に移転しているし、別荘を兼ねたアトリエも九十九里にある。六五年から七一年にかけては、その九十九里で働く人々や空港建設に揺れる三里塚の人々を厳しいタッチで描いている。まさに千葉ゆかりの画家といっても不足はない。大森さんの画集が去年でた。その巻末に日記の一部が収録されている。

 「新しいのに敏感なのはいいが、日本人の性向はすぐ欧米の流行に従う弱点がある。学ぶべきは、世界のプリミティブなバイタリティーと生命力。その素朴な人間賛歌の感覚である」

 「下図はいいが本画になると弱い。作為が多くなるのだ」

 「私が築く秩序は、私がとらえたものだ。これこそが真実である。世に不可能はあるが、作家として取り組む仕事には不可能はないはずだ。求める者に終着点はない、目に見えぬものを求めよ」

 万年青年躍如たる言葉だと思う。