フランス美術館巡り(1)モロー美術館

2022年04月17日

 この夏休みを利用して家内とパリ、ニース、リヨン、ルーアンなどフランス各地を巡り、多くの美術館や画家のゆかりの地を訪ねました。これから数回にわたって印象的だった美術館等を御紹介します。
 モロー美術館は、生前ギュスターヴ・モローのアトリエだったところで、パリのモンマルトルの近くにありました。19世紀後半の象徴主義の代表者である彼の作品は、ここ以外ではあまり見ることができないそうです。

 薄暗く、きしむ階段を登って2階・3階にいくと、彼の作品があやしい光を放っていました。19世紀的な古めかしい建物にまさにぴったりの幻想的でかつ官能的な絵は、約半分が宗教画であったにもかかわらず、あまり重々しい感じはしませんでした。

 私達が熱心に見ていたからか、係の人が普段は公開しない大作を描く前に画いた下絵を沢山見せてくれました。展示してある作品を描く前の構想を練るための絵ですが、その多くはまるで抽象画で、説明を受けなければそれがあの具象的な最終作品の下絵とは気がつかなかったでしょう。

 モローには、その抽象画のような下絵の背後にはっきりと具象的な像が浮かんでいたのだと思います。私達にはその下絵がそのまま現代アートとして通用するほど素晴らしい絵に映りました。もしかしたら現代の抽象画は未完成の下絵を完成作品と見なすところに起源があったのかなと思いました。

フランス美術館巡り(2)ルノアール記念美術館

2022年04月24日

 ニースから車で30分位の所にカーニュという小さな町があり、そこのコレット荘という別荘でルノアールは64才から没するまで14年間リューマチの苦しみに耐えながら晩年の制作に当りました。今は市が買い上げて美術館として公開しています。

 コレット荘は、広い庭から中世の城郭都市カーニュ・シュル・メールを見上げることができ、また地中海を見下ろすことのできる風光明媚な温暖な場所にあります。ここでルノアールが絵筆を腕に巻きつけ、車椅子に乗ってあの豊満な女性像を描き続けたのだなあと思いました。

 ルノアールの晩年の作品をみると似た女の人が度々登場します。お手伝いとして呼び寄せた夫人のいとこのガブリエルではないかと思います。

 真丸い顔、太り過ぎと思われる体、日本人の感覚では決して美人の部類に入らないのだろうけれど、ルノアールの筆にかかるといかにも愛らしく、エロティックで、豊じょうな母なる大地を思わせる女性になるから不思議です。

 彼はこの女性に愛を感じていたからこそ、死ぬまで強い制作意欲を持ち続けることができたのだろうと勝手に想像しながらコレット荘を後にしました。

フランス美術館巡り(3)バルビゾン

2022年05月08日

 ミレーが描いた田園風景を実際に見てみたいと思い、フォンテーヌブローの森に隣接するバルビゾンに行ってみました。

 パリから車で1時間足らずの所ですが、そこには都会の喧騒とは縁のない19世紀の田園風景がそのまま延々と広がっていました。

 ミレー等バルビゾン派の画家達は、パリのアトリエに閉じこもってアカデミックな絵ばかり画いている御用画家たちとキッパリ縁を切り、農村に住み、農民と生活を共にしながら働く彼等の姿を描きました。

 ミレーは日本人好みの画家です。それは、「晩鐘」や「落穂拾い」が昔の教科書に載っていたことと関係があるのかも知れません。私達もミレーのファンで、パリのオルセー美術館で上の2点の他にも沢山のミレー、ルソー、ディアスなどのバルビゾン派の画家達の絵を鑑賞して、バルビゾン行きを思い立ちました。

 ミレーのアトリエの隣が古い小さなホテルで、そのカフェは当時画家達のサロンとして使われていました。なんと昭和天皇が皇后(現皇太后)と若い頃ここを訪問していて、歓迎を受けている写真まで残っているではありませんか。 私達は昭和天皇が座ったといわれるソファにうずくまって、天皇もミレーのファンだったに違いないと想像しました。

フランス美術館巡り(4)オランジェリー美術館

2022年05月23日

 家内が5年前にパリに行った時、一番感動したのがオランジェリー美術館のモネの絵だったというので、家内に案内されて行って見ました。
 オランジェリーはルーブルの隣にある中規模の美術館です。セザンヌやルノアールなど近代美術を中心とする作品が展示してある2階もそれなりに見ごたえがあるけれど、それだけならここに御紹介するほどのことではありません。

 目当のモネの絵は地階にありました。大小2つの楕円形の展示室はモネの水蓮の連作を展示するためにデザインされたもので、モネの絵は壁画のように壁一面に連続的にはりつめられていました。

 部屋の真中にある椅子に座ると、水蓮の咲く池とその周辺の草木をパノラマのように見ることができます。日の光によって変わる色彩の変化を、等身大の絵の中で見事に描き切っています。その深みのある微妙な色の混合が織りなす幻想的な画面に、しばし見とれていました。

 モネの絵は日本でも何回か見ていたのですが、多くの絵の中の数点という状況ではあまり印象に残らず、私の好きな画家には入っていなかったのですが、オランジェリーの大作を見てすっかりファンになってしまいました。

フランス美術館巡り(5)ルーアン市立美術館

2022年05月29日

 オランジェリーで水蓮の超大作をみて、すっかりモネに魅せられた私達は、パリから北に250km、ノルマンディー地方の中心都市ルーアンにやってきました。

 モネはルーアンのノートル・ダム寺院の正面をまず同じ構図で何点も描いており、それが市立美術館で特別展示されていると聞いたからです。

 まずモネが愛したルーアンの町を散歩しました。町の中心にある広場では、魔女裁判で魔女とされたジャンヌ・ダルクが火あぶりになり、19年の短い生涯を閉じたことを知りました。ルーアンの旧市街は、木の柱で外壁を枠どった独自のデザインの古い家が沢山残っていて、1階の商店やカフェを見なければまるで中世へタイムスリップしたかのようです。

 さて、モネの描いたノートル・ダム寺院の前に来ました。前面の広場は小さく、高角度で見上げなければ、大寺院の塔までは見えません。モネはさぞ首が疲れただろうなどと思いながら美術館に入りました。

 そこにあった寺院の連作は、私達が今見てきた寺院と形は同じでも印象はまるで違うものでした。明け方や夕暮れの寺院はこういう感じなのかなと思いながらも、時間による変化をモネだからこそ上手に表現できたに違いないと感じました。

フランス美術館巡り(6)クロ·リュセ

2022年06月19日

 クロ・リュセとは、レオナルド・ダ・ヴィンチが晩年住んだ城館で、今はミュージアムになっています。
 パリから西へ約200kmにあるトウールからオルレアンにかけてのロワール川沿岸には、中小規模のお城が沢山あり、お城巡りのつもりで出掛けたら、途中にクロ・リュセがありました。以下はタクシーの運転手に聞いた話です。

 フランソワ㈵世が領土的野心をもってイタリアに攻め込んだけれど、何の成果も上がらなかったばかりか、イタリアルネッサンスの絢爛たる興隆ぶりに圧倒され、イタリアのアーティストを多数スカウトして帰国しました。

多くはイタリアでは用済みのアーティストでしたが、中に1人超大物が含まれていました。フランスに来たダ・ヴィンチはこの城館を与えられ、制作に当りましたが、その間にノートに多くの設計図を走り書きしました。

 このミュージアムの売り物は、その設計図にもとずいてIBMがつくった模型です。船や戦車はヘリコプターや土木機械などが展示されています。当時としてはまさに画期的な発明だったでしょうが、それが評価され、実用化されることはありませんでした。

 まさに真の天才ダ・ヴィンチがここで制作し、フランスのルネサンスに火をつけたのだと思うと感慨もひとしおでした。

フランス美術館巡り(7)マチス美術館

2022年06月26日 平成7年7月 掲載

 昔から高級リゾート地として有名なニースにやってきました。私達もニースの海岸通りを描いた素晴らしい絵を数年前に購入し、その場所を実際に見てみたいと思っていました。しかし現在は海岸で日光浴をする人々でごったがえす大衆リゾート地に変わっていて、ちょっとがっかりしました。

 そのかわり、いくつかの素晴らしい美術館がありました。その一つがマチス美術館です。

 マチスは晩年ニースのスイミエにアトリエを持ち、ここに落ち着いて制作に励みました。彼の家は現在ミュージアムになっており、油絵、デッサン、リトグラフのほか、絵の具箱など彼のゆかりの品々も展示してありました。ピカソとともに現代美術の巨匠といわれるマチスですが、これまでは断片的にしかその作品にお目にかかることはありませんでしたので、良い機会と思って訪れたのですが、まさに圧巻でした。

 ヴァンスにはマチスがデザインした唯一の礼拝堂があり、美術館のいくつかの作品は、そのための下絵であると聞き、車で1時間位内陸にはいった田舎街ヴァンスへ行ってみました。

 小さなチャペルに入ると選びぬかれた青、緑、黄、の3色で構成されたステンドグラス、そこから差し込む陽光を受ける聖女の黒一色の素描、単純ななかにも厳粛な気が漂っていました。

フランス美術館巡り(8)シャガール美術館

2022年09月22日

 マチス美術館から歩いて行ける距離にシャガール美術館があります。ここもニースの古い高級住宅地で、「これが美術館?」と思うようなしゃれた造りの建物に小さくシャガール美術館と書いてありました。シャガール自身が基本的なデザインをした美術館で、美術館と展示作品が一緒になって一つのアートとなっています。

 館内はシャガールの意向で全て自然光で鑑賞できるようになっています。旧約聖書を題材にした17枚の油絵は圧巻でした。キリスト教文化に馴染みのない私達は、西欧の美術館の多くの壁面を埋めている宗教画には正直いって疲労感すら感じていたのですが、同じ宗教画でもシャガールの絵には何かほのぼのとしたものを感じさせられます。

 奥の部屋では、生前の彼の仕事ぶりや美術を志す若者達への彼のメッセージを送る映像が見られます。最後の部屋に足を踏み込むと、そこは礼拝堂兼音楽の小ホールのようで、一つの壁面が巨大なステンドグラスになっていました。彼の絵がもとになっているのですが、かなり濃い色を使っているため部屋の中は薄暗く、椅子にすわっている数人の人からいびきが聞こえました。舞台に置いてあるグランドピアノのふたが立てられており、そこにも彼の絵が描かれているのを見てその徹底ぶりに驚かされました。

フランス美術館巡り(9)ニースの現代美術館

フランス美術館巡り(9)ニースの現代美術館

2022年09月22日 平成7年9月 掲載

 マチス美術館に行く途中、コンテンポラリーアートのミュージアムという看板が目に入り予定外だけれどちょっと覗いて見ようということになりました。できたばかりのピカピカの美術館です。

 古いビルに囲まれてはいますが、隣接するコンベンションホールと劇場とこのミュージアムだけがアートっぽい現代建築になっていて異次元の世界を構築していました。

 ミュージアムの前庭には、ミロの絵から飛び出して来たような赤や黄の大きなオブジェが置かれていて雰囲気を出しています。

 美術館の中はかなり広く、企画展と常設展に分かれていました。中は現代アートとあって観光客の姿は見えず、美術を専攻しているらしい若者がメモを取りながら熱心に鑑賞している位で、ガラガラでした。

 自転車を四角くプレスしただけのもの、がい骨のような人が寝ているベッドなどこれがアートかと思うような作品も多かったのですが、それらが広い展示室の中でレイアウトされてライティングされると、なんとなくやっぱりアートなのかなと思えるから不思議です。でも何点かは本当にいいかなと感ずるものもありました。

 この美術館は屋上がとても面白いのです。凸凹の屋根の上を散歩できるようになっていて、そこからニースが360度のパノラマです。これだけでも入って良かったと思いました。

フランス美術館巡り(10)リヨン市立美術館

2022年09月22日

 ローヌ川とソーヌ川の合流点に位置するリヨンは2000年以上の歴史を持つ旧市街とモダンなビジネス都市とその中間の街とが川を境いにはっきりと分れています。

 旧市街の小高い丘の上にあるノートル・ダム寺院まであえぎながら登っていくと、そこには2つの川とそれを境いに明らかに屋根の色や形が異なるリヨンの全景が待っていました。このグラジュエイションはアートだなと思いました。

 市立美術館は大きな中庭を持つ古いやや汚れたビルでした。ギリシャ・ローマ時代のものから現代美術のはじまり頃までの作品を驚くほど沢山展示していました。大きな美術館なのに飾り切れないのか2段、3段に飾っているのには驚きました。その中にはただ1人の日本人画家として藤田嗣司の作品もありました。

 映像芸術の企画展もやっていたので入ってみました。2部屋目はなんと真暗、足もとすら見えません。気味が悪くなってすぐ出てしまったら、切符切りのおじさんが手を引いて案内してくれました。人が歩くと映像が映り、遠くから1人の人が歩いてきて、私達がそこを通り過ぎると映像の人もくるりと後ろ向きになって去っていくのでした。部屋を一巡りする間に何人もの人が近づいては去りました。部屋を出る頃には少し眼が慣れて、部屋がぼんやり見えるようになりました。

フランス美術館巡り(11)パリの美術館

2022年09月22日

 これまでに御紹介したモロー美術館、オランジェリー美術館の他に今回の旅行で訪れたパリの美術館はオルセー美術館、ポンピドー・センター内にある国立近代美術館、ピカソ美術館、そしてロダン美術館です。ルーブル美術館とマルモッタン美術館は以前に行っているので主な美術館はおおむね訪れたことになります。

 ルーブルが古代から1848年まで、オルセーが1848~1914年まで、国立近代美術館が1914年から現代までと3館で西洋美術の流れの全てを追えるように構成されています。その展示品の豊富さと秀逸さには、さすが芸術の都パリだと感嘆させられました。

 ロダン美術館は、ロダンが住んでいた家をそのまま使っており、是非行きたいと疲れた足を引きずってやっとたどりつくと、長い列ができていて閉館も間近か、私達が切符を買って間もなく販売終了、数十人の人が入館できませんでした。

 庭におかれた考える人は、ナポレオンが葬られているアンバリッドの黄金のドームをバックに今日は何を考えているのでしょうか。

 パリにゆかりの深いピカソの美術館は、実に10年の準備期間を経て1985年にオープンしたパリ自慢の美術館です。マドリッドやバルセロナのピカソ美術館にも劣らない充実した展示に驚かされました。

ギャラリーとミュージアムの違い

2022年09月22日

 作品には、家やオフィスに飾られることを待っている作品と、ミュージアムや公会堂に飾られるのを待っている作品があります。同じアーティストでもこの2種類の作品は全く異なることがあります。

 アーティストである以上、作品に自分の強烈な思いを込め、飾られる場所を超越した芸術性が作品に付加されることを期待しますが、そういう作品は家の中に飾るにはあまりふさわしくないことが多いのです。

 ギャラリーの主要な役割は、家やオフィスに飾られることを待っている作品に対して、そのチャンスを増やしてあげることです。

 このような作品は、飾られる場所を目的に制約されて制作されたものであり、インテリアの1部としての性格を若干持っていることは否定できません。

 アーティストとしては、100%アートとして制作した作品も、ギャラリーのお客に鑑賞してもらいたいと思うのは自然な気持でしょう。ギャラリーのお客様も作家の両方の性格の作品を鑑賞することができれば、アーティストをより深く知ることができます。

 ART SARONⅡでは、ミュージアムに飾られることを待っている作品も積極的に展示したいと思っています。

作家の有名度が作品の価値を決める?

2022年09月22日

 ニューヨークのメトロポリタン美術館の前にあるフランス文化センターのホールに飾られていた小さな大理石の少年の像が、実はミケランジェロの作品であったということで大変注目を集めています。

 その少年像は作者不明のまま長い間その場所に飾られてきたのですが、パーティなどで集まる多くの文化人(その中には美術が専門の人もいたでしょう)の視野に入りながらも、ほとんど注目されることはなかったそうです。これからは棚などが設けられて、少し離れたところからうやうやしく鑑賞されることになるでしょう。

 フランス文化センターは大変な掘出し物をしたわけですが、少年像はおそらくこうぼやいているでしょう。「ぼくは長年ここに立っていて何も変っていないのに、一夜にしてぼくはかけがえのない大変な貴重品に祭り上げられてしまった。ぼく自身ではなく、ぼくのお父さんを通してしかぼくを評価してくれないんだ。」

 どの作品がより優れているかがなかなか分かりにくい芸術品の評価では、作家の有名度をある程度基準にして作品の価値を評価せざるをえない面があるのはやむを得ないかも知れません。しかし、有名な作家にもそれほどでもない作品があるし、無名の作家にも素晴らしい作品があることがあります。

 私達も、もっと作家と切離して一つ一つの作品を公平に鑑賞するようにすべきでしょう。

「一竹辻が花」のこと

2022年09月22日

 当ギャラリーで個展をされた深沢修さんが、河口湖の富士レイクホテルのロビーで大規模なインスタレーションをされるというので、家内と同ホテルで一泊しました。彼の展示が素晴らしかったことはいうまでもありませんが、午後から同時開催される黒沼ゆり子のコンサートまでのひまつぶしにと訪ねた久保田一竹記念館での私達の驚きについて御紹介します。

 私は着物にはとんと興味がなく、家内に強引に連れられていったのですが、そこに繰り広げられていたのは、着物を使ったインスタレーションでした。デパートの着物売り場を想像していた私は、この作家はただ者ではないと直感し、黒柳徹子が彼と彼の作品を紹介しているビデオに観入りました。

 なんと彼は最近ワシントンのスミソニアン博物館で大きな個展をやっていたのです。スミソニアンでは現存の作家の個展は初めてという異例のことで、大変な評判になったようです。

 評論家達は、現代の日本の芸術で世界に紹介する価値のあるものは非常に少ないが、久保田氏の「一竹辻が花」はまさに日本の伝統と現代を融合させた真の芸術であると絶賛しています。

 彼の自伝を買って読んでみてまた驚かされました。友禅染の職人であった久保田氏が、20才の時に幻の染色といわれた中世の辻が花に出会い、その現代における再現を心に誓って辻が花の研究に着手できたのが僅かながらも貯えのできた40才、家族に極貧の生活を強いながらやっと自分が納得できる色合いを出せるようになったのが60才、東京での個展からはじまってスミソニアンにたどりつくのが80才、そしてなお100才までのロマンを持って創作に当っているその生きざまは、私達に勇気と感動を与えずにはおきません。