当サロンオーナー、田中義明によるエッセイ

山下清の純粋芸術 

 先日テレビで「裸の大将山下清記憶の芸術と放浪の謎」という番組を見ました。山下清の放浪生活については、映画やテレビドラマである程度知っていたし、いくつか作品も見たことがあるのですが、ギャラリーをやるようになってからは初めてその作品と人となりに触れ、大きな驚きと感動を覚えました。

 まず彼の最高傑作といわれる「長岡の花火」が大写しになった時、一緒に見ていた家内も「すごい」と声をあげるほどそれは素晴らしい作品でした。画面の上方には大きな花火が5つ位開いていて、それが真中を流れる川面に映っており、下方には数千人の見物人の後姿が細かく描き込まれていました。一見してこれは点描画かなと思いましたが、実は色紙を指でちぎって画用紙に貼り付けたものでした。

 知的障害を持っていた彼は、市川市の施設でその画法を習い、たちまちその虜になってしまいました。最初は身辺の花や虫を描いていたのですが、世の中にはもっときれいなものが色々あるかもしれないと、こっそり施設を抜け出し放浪の旅に出ました。

 その度は数ヶ月から数年に及ぶこともありましたが、必ず施設に戻ってきて、旅の記憶だけ(スケッチはない)を頼りに制作に没頭するのでした。彼は49歳でなくなるまでそれを続けようとしましたが、ある時梅原龍三郎が彼の絵を見て「日本のゴッホだ」と絶賛したころから、彼の人生が狂いだしました。

 彼は自らをルンペンと言っていたようにぼろをまとい、リュック一つで物乞いをしたり、バイトをしたりしながら、寒くなれば南へ、暑くなれば北へと足の赴くままに一人で気ままに放浪するのが好きでした。しかし有名になってからは、何処に行っても人がぞろぞろついてきて、時にはおせっかいにも警察に保護されたりもしました。

 彼はお金も名声も欲しくはなかったのです。ただ自分の感動を絵で表したかっただけなのです。まさに純粋芸術といってよいでしょう。幸いその後東京の大丸で山下清展を観ることができました。

 注)私は山下清の生き方は一つの方向であって、アーティストとしては多様な生き方があってよいと思っています。