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第2部 世界の偉人たちの生きざま
マザー・テレサ
を勉強しました。その後1人だけの宣教活動に入るわけですが教育こそがスラ
ムを救う鍵であり、貧しさと無知から逃れるただ一つの道であると信じている
テレサは、子供達にまず読み書きから教えることにし、青空教室を開設しまし
た。黒板もノートもない教室でしたが、5人の生徒が集まってくれました。土
の地面を黒板代わりに棒切れをチョーク代わりにしましたが、口コミで少しず
つ生徒数が増えていき、そのうち有志の資産家が屋根のある教室を提供してく
れたり、資金を寄付してくれる人々が出てきて、学校も次第に形を整えていき
ました。
テレサはスラムにとけ込むためには、外国人ではだめだとインド国籍を取得
し、服装も粗末な木綿のサリーに切り替えました。テレサが1人でスラムの子
供達を教えていると知ってロレート修道院時代の教え子の1人が手伝いを申し
出てきました。テレサはその子に自分の幼名をとってシスター・アグネスと名
付けました。目の美しいこのベンガル女性は、とても控えめながら、テレサを
生涯支えることになります。彼女に続いて修道院時代の教え子が次々とテレサ
の元に協力を申し出てくるようになり、自然にテレサのことをマザー・テレサ
と呼ぶようになりました。そして、1950年、僅か12人のシスターしかいない
テレサのグループが、ローマ法王から修道会「神の愛の宣教者会」として正式
に認可され、1年以内に修道院に戻らなければならないという制約もはずれる
ことになりました。
以上がマザー・テレサの前半生で、これからマザー・テレサの性向の道が開
けていくのですが、この部分は彼女の実績をたどるだけにとどめたいと思いま
す。
マザー・テレサの事業は大きく分けて次の4つに集約されます。
①親に捨てられた子供達を世話する「孤児の家」
②誰からも相手にされず、道ばたで死にかけている人達を世話する「死を待つ
人の家」